奄美大島の病院を訪問しました。

奄美大島の病院を訪問しました。

来年度以降に、東金病院のレジデントが奄美の診療所や病院で研修を予定
しています。

http://www2.synapse.ne.jp/iryouseikyou/tyuuou/index.html


そのために今回はレジデントが現地を訪問し、現場を見学することで研修への
思いを強くしてもらい、また奄美医療生協の理事長や院長先生をはじめ、
多くの先生方やスタッフにお会いして、懇談することも目的です。

私は2年ぶりの奄美訪問でしたが、あまり変わりなく、ほっとしました。

海は相変わらず、エメラルドグリーンで、心はなごみます。
今回、海に行くことはなかったのですが、空港に行くまでの道すがら、
おもわず写真をとったりしました。

奄美医療生協の先生方やスタッフの方々も大いに歓待してくださり、
レジデントとともに感謝することしきりでした。

今回の訪問を機に、レジデントが研修する思いを強くするならば、
なんとかこの研修を成功させたいと思います。
 

最後の医介輔、引退へ  沖縄・離島医療を支え、60年

2008年11月 琉球新報

【うるま】戦後沖縄で、へき地・離島の住民の命を支え続けてきた医介輔制度。宮里善昌さん(87)=うるま市勝連平敷屋=は県内唯一の医介輔として平敷屋診療所で診察を続けてきたが、10月6日に同診療所を閉めた。

最後の医介輔だった宮里さんの引退で、戦後・復帰後の地域医療を支えた約60年の医介輔の歴史が幕を閉じ、戦後沖縄の時代を語る象徴がまた一つ消えた。

医介輔は、沖縄・奄美だけに認められた特別医療制度。激しい沖縄戦で60数人まで激減した県内の医師不足を補うため、1951年に米国民政府が医師助手などを対象に試験を実施し、県内では宮里さんを含む96人が合格。復帰時も、へき地医療は改善されていないとして「沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律」で制度は存続した。

宮里さんは「産婦人科など何でも診ないといけなかったが、勉強になった。患者に対する優しさが医の原点」と語る。

ソロモン諸島で補助衛生兵として終戦を迎えた体験がある宮里さんは「餓死する仲間が最期に口をもぐもぐさせていた」様子を目にし、勝連地域から12、3人はブーゲンビル島に行ったが、生き残ったのは宮里さん一人。「人を救うために生かされた」と感じたという。

医療保険制度も確立していない時代、貧しい家からは診療代を取らなかった。台風時の往診や波が荒れる中を「行かなければならない」とくり船を出し、長女の富山光枝さん(67)=同=も「命がけだった」と当時を振り返るほど。時には医師からばかにされる苦い経験もあった。

「90歳までやる」と周囲に話していた宮里さんに「もっと続けてほしい」との声もある。しかし、聴診器を使う耳が聞こえづらくなり「誤診しては大変」と引退を決意した。

「沖縄での医介輔の目的は果たした。後世につないだという安心感があった」と悔いはない。「今後は無理しない程度に、のんびり暮らしたい」と今は畑仕事に熱中する日々だ。(比嘉基)
 

離島医療担う次世代育て 竹富診療所で研修医が実習

2008年9月3日 琉球新報
【竹富島=竹富】未来の“ドクター・コトー”を育てようと、竹富島の町立竹富診療所で研修医を受け入れる新たな試みが始まっている。

「いつか一人でも島に戻ってきてくれたら」と出発した地道な種まきだが、実習中の研修医は離島医療の厳しい現実を知るとともに、自ら地域に入り込んで島の命を懸命に守ろうとする医師の姿勢に触れ、地域医療への使命感や喜びも感じ始めている。

竹富町には現在、6つの診療所(町立2、県立4)がある。そのうち竹富島は長年、医師不足の沖縄だけに認められた医療従事者の医介輔が常駐していたが、医介輔が2002年に引退し、その後約2年間は週1度の巡回診療で対応していた。04年2月に初めて医師が常駐し、07年4月からは外山久太郎医師(64)が勤務している。

外山さんが赴任後、北里大学から「地域医療の現場を学ばせてほしい」と研修医受け入れの依頼があり、今年6月から研修医の受け入れを始めた。

外山さん自身に離島医療への強い思いがある。台湾で生まれ、戦後に医介輔をしていた祖父を頼って小浜島に引き揚げた。首里高卒業後、九州大学に進学。北里大学病院勤務を経て、平塚共済病院で研修委員長も務めた。

60歳を前に「自分が培ってきた医療の技術、知識で沖縄の離島の役に立ちたい。そうしなければ医者として終われない」と思い、離島医に応募した。

外山さんの下で、8月1日から実習中の研修医2年目の伊藤秀憲(ひでのり)さん(28)は「大学病院と違い、ここでは内科・外科問わず全部診なければならない。短期間でずいぶん診断の力がついたと思う」と手応えを感じている。

だがそれ以上に学んだのは理想に近い地域医療を実践しようとする外山さんの姿勢だ。外山さんは「診療所に来やすいように」と老人クラブの会合や島の行事に欠かさず顔を出し、24時間365日で患者を受け入れている。

そんな外山さんを見ているうちに伊藤さんも「離島の医師には島の命を預かる責任がある。いつか離島診療にかかわってみたい」との思いになった。外山さんの種まきが実をつける日もそう遠くはなさそうだ。
(深沢友紀)

Drコトーが離島診療所の任期延長へ。

鹿児島大学の大先輩であり、その生き様が僻地で働く医師の共感をよんでいる
瀬戸上先生の記事が下記のように載っていました。

先生の講演をかつて拝聴したことがありますが、僻地ではたらくことの厳しさと楽しさを教えて頂きました。先生の著書「DR瀬戸上の離島診療所日記」(小学館)に詳細がのっています。

今回、70歳まで任期を延長されるとのこと。先生が島にいる間にいつか見学にいきたいと考えています。


<Dr.コトー>モデルの瀬戸上医師、退官返上で任期延長 「島への恩返し」と 3月5日12時18分配信 毎日新聞

離島医療に取り組む若き医師の姿を描いたマンガ「Dr.コトー診療所」の主人公のモデルとなった鹿児島県の下甑(しもこしき)島の診療所所長の瀬戸上健二郎医師が67歳の誕生日となる9日に退官する予定だったが、住民や本人の希望で最大3年任期を延長することが明らかになった。同島では8日に予定していた退官イベントを「感謝祭」に変え、原作者の山田貴敏さんらも参加する。

瀬戸上さんは1978年、鹿児島市内の病院から、下甑村(当時)の診療所に赴任、地域の医療に力を尽くし、00年には藍綬褒章を受賞している。同村の医師の定年は70歳だったが、04年に薩摩川内市に合併し、同市の医師定年が65歳に改正されたため、瀬戸上さんは05年に2年間任期を延長していた。

「Dr.コトー」は、瀬戸上医師の話を聞いた「週刊ヤングサンデー」(小学館)の編集者の発案で、山田さんが同島を取材し、瀬戸上医師をモデルにした医師・五島健介を主人公に離島医療の現実を描いた作品で00年から連載を開始。吉岡秀隆さん主演でドラマ化もされ、コミックス(1〜22巻)は1000万部を超えるヒット作となっている。

感謝祭は、住民が瀬戸上医師への感謝を示そうと企画されたもので、山田さんやドラマ版の脚本を担当した吉田紀子さんらも参加し、似顔絵やメッセージを贈るという。瀬戸上医師は「任期延長が島への恩返しになれば。マンガのおかげで離島医療への理解も深まった。『Dr.コトー』の名前は、離島などでがんばるすべての医者に贈られるものだと思う」と話している。

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