もうすぐ梅雨があけますね^^

もうすぐ梅雨があけますね^^

いやはや九州では雨がすごくて、大変です。

日本の年間の平均降雨量はたしか3500ミリ程度だったと思いますが、

九州北部ではたった1日で500ミリの降雨があったようです。

これでは何らかの災害がありうることですね。

1993年8月の鹿児島での大水害を思い出します。

わたしは当時20歳で、医学部を目指して浪人中の身でしたが、鹿児島市内の甲突川沿いに住んでいました。

その甲突川が氾濫したのです。川沿いにあった私のアパートも床上浸水しましたが、なんと2メートルぐらいまでの水の跡が壁にのこりました。
(うそのような本当の話です)

運よくアパートの2階に住んでいたので、被災は免れましたが、1階に住んでいた大家さんの部屋は文字通り泥だらけの状態でした。

アパート周辺は同じような状態で、1993年8月は1ヶ月ぐらい、受験勉強どころではなかったと思います。

毎日、ボランティアで、泥などの掃除をしたような覚えがあります。

今回、被災された方が早く復興できますように。。。。
 

死傷2人、断水1万4800戸

最大震度5強 銚子市液状化被害


地震で倒壊した民家の石塀(15日午前6時45分、銚子市榊町で) 14日夜に発生した千葉県東方沖を震源とする最大震度5強の地震で、県は15日、船橋市の女性(95)が死亡するなど2人が死傷し、銚子、香取両市で最大1万4854戸が一時断水したと発表した。銚子市では市道1か所で液状化により水や砂が噴き出す被害も確認された。

県災害対策本部などによると、死亡した女性は心臓に持病があり、地震直後に具合が悪くなり、家族が119番したが、搬送先の病院で死亡した。船橋市の最大震度は3だった。また、木更津市では携帯電話の緊急地震速報の音を止めようとした女性(69)がベッドから落ち、右手首を骨折した。

このほかに、銚子市の民家3戸で窓ガラスが割れるなど一部が破損。民家以外では香取市の中学校体育館の天井から部品が落下するなど、建物5棟で一部破損が確認された。民家のブロック塀や石塀の倒壊は4か所だった。

断水はいずれも14日深夜までに復旧した。

県は15日午前、被害拡大のおそれがないとして災害対策本部を解散した。



■塀や壁面が損壊、銚子

銚子市では地震発生から一夜明け、ブロック塀の倒壊など建物被害が明らかになったほか、液状化も確認された。

同市によると、液状化が確認されたのは、銚子市東小川町の市道約100メートル。液状化で噴き出した水で路面がぬれた状態になった。住宅に被害はなく、通行止めなどの影響もなかった。

3階建ての店舗兼住宅で、3階外壁のタイルが縦約2メートル、横約5メートルにわたってはがれ落ちた同市高田町の渡辺俊征さん(67)方では、後かたづけなどの対応に追われた。渡辺さんは「タイルの落下には驚いたが、下に人がいなくて良かった」と話していた。

同市三崎町のショッピングセンター「イオンモール銚子」の専門店街では、天井近くの壁面ボードが一部落下したり、給水管が水漏れしたりする被害があった。このため、専門店街の大半の店舗は営業開始時間を午後1時に繰り下げ、商品整理などにあたった。

(2012年3月16日 読売新聞)

がんばろう! 千葉・飯岡

がんばろう! 千葉・飯岡

1年前の震災では千葉県でも20名の死者がでました。
その中で13名の方が亡くなったのが、旭市飯岡地区です。

東金から車で45分ほど離れていますが、九十九里浜の沿岸にあり、漁港です。

本日、その飯岡地区を訪問しました。
まだ、更地の土地が多く、新しい住居もすこしづつ増えているようです。

震災からちょうど1年、本日は供養祭が数か所でとり行われており、取材も入っているようでした。

多くの方が、住処を失い、高台などに移っているとききます。多くの困難を乗り越えて、復興への第一歩を踏み出したと伺いました。

飯岡地区は漁港の街ですので、私もときどき訪問して、おいしい魚を食べたり、買い物をしたいと思います。

首都「震度7」で、老朽建物84%以上全壊も

首都を直撃する東京湾北部地震について、文部科学省の研究チームは、これまでの想定を上回る震度7の揺れが東京都や神奈川県の湾岸部などを襲う可能性を指摘した。

拡大が予想される被害に対し、耐震補強などの備えを急ぐ必要がある

8日、東京大学安田講堂で開かれた文科省研究チームの成果報告会。会場を埋める数百人の聴衆に対し、代表研究者の一人である平田直(なおし)・同大地震研究所教授は、

「フィリピン海プレート(岩板)の境界が従来の想定より10キロ浅いことが分かった。東京湾北部地震が起きれば、東京の揺れが大きくなる」と話した。

報告会でスライド投影された東京湾北部地震の震度分布図によると、東京23区東部から神奈川県北東部にかけて震度7が発生。震度6強は23区や川崎、横浜市の一部、千葉県の東京湾岸沿いに広がり、国の中央防災会議が2004年に発表した想定より拡大していた。

都心部を震度7の地震が襲った場合、最も懸念されるのは建物の損壊だ。

同会議は、阪神大震災など過去3回の大地震での被害から、現行の耐震基準を満たす木造建物がどのくらい全壊するかの目安を算出している。震度6強だと全壊率は1%以上だが、震度7に達すると16%以上になる。

耐震基準は1981年の建築基準法改正で厳しくなっており、それより古い建物の全壊率は高くなる。62〜81年の建物は震度6強で10%以上、震度7では65%以上が全壊する。特に老朽化した61年以前の建物は、震度7で84%以上が全壊する。

実際の建物被害は、揺れの周期にも左右される。沖合で起きた東日本大震災では、震度7を記録した地域でも、木造住宅を破壊しやすい短周期の揺れが比較的弱かった。小刻みな揺れは、遠くまで伝わりにくいためだ。

これに対し、直下で起きる東京湾北部地震では、最大震度7の阪神大震災と同様、小刻みな揺れがあまり減衰せずに都市を直撃すると懸念される。

最終更新:3月9日(金)11時8分 読売新聞
 

久々に救急車に同乗しました・・・

久々に救急車に同乗しました・・・

一昨夜は当直でしたが、もうすこしで夜があけるところで、頭痛の患者が当院へ搬送されました。

調べたところ、脳出血と判明しました。山武地域には脳出血の患者さんを受け入れる3次病院はありませんので、千葉市内か、旭市内の大病院へ搬送されます。

状態が思わしくないために、眠いのをこらえつつ、救急車に同乗しました。
今回は45分ぐらいかけて、旭市内の大病院へ搬送しました。

搬送時には何事もなく、搬送できました。

山武地域ではあと2年後に救急センターが開設される予定です。
今回のような重症の患者さんにとっては朗報であるとおもいます。

ただ、すべての救急患者さんをあたらしい救急センターが引き受けると
センターの医療スタッフが疲弊することが十分に予想されますので、
病状によっては山武地域の他の医療機関も一定の役割を引き受けることが
必要でしょうか。

山武地域のさまざまな医療機関が連携して、なるべく山武の域外搬送をへらすことがこの地域の医療にとって重要と思われます。

患者さんも他の地域の病院へ搬送されても、その後が大変そうです。

 

節電でヒートショックに注意!

節電でヒートショックに注意!

最近、当直帯でもお風呂での事故が多いように感じます。

年間1万4000名の方が、いわゆるヒートショックでなくなっているそうです。

ヒートショックとは自宅などで風呂場、脱衣所などの寒暖の差のために
血圧や脈拍が変動しやすくなり、脳卒中や心臓病を生じることです。

この冬の時期には当直などでも、救急車で搬送されるケースが多いようです。

予防策としては、寒暖の差をなくすために脱衣所を温かくする、風呂場も前もってシャワーで温かくすることなどが挙げられます。

今年は節電のために電気などをつかわず、そのためにヒートショックを生じることもありえますので、十分に注意が必要です。
 

銭湯で急病人発生!

銭湯で急病人発生!

鹿児島では市内のあちらこちらで温泉がわいていますので、鹿児島で風呂に行くといったら温泉に入ることを意味していますが、こちらではむしろ銭湯のほうが多いようです。

千葉では銚子、館山、白子あたりに温泉がわくようですが、遠いのでもっぱら
近場の銭湯を利用します。

先日、家族で市内の銭湯に行きました。風呂からあがり、ゆっくりしていると
うちの妻が女子風呂内で人が倒れていて、いまから救急車をよぶそうだとのこと。

千葉に来て、5年になりますが、この間に2件の院外での救急事案に遭遇しました。1件は横浜駅構内で、もう1件は飛行機内です。今回は銭湯内でした。

http://blog.furugaki.net/?eid=227

今回も銭湯の職員が困惑していましたので、医師であることを名乗り出て
急変に対処しました。運よく、意識も戻り、バイタルも異常なく、自力歩行が可能でしたので、車で帰宅としました。

聞くと、風呂に入る前にアルコールを飲んだために、すこしぼーとしていたそうです。風呂前にアルコールは厳禁と本人には指導しました。

院外での急変の事例がありますので、休みのときも注意しておく必要があると
感じました。
 

118医療施設が壊滅 医師11人死亡、原発退避も

118医療施設が壊滅 医師11人死亡、原発退避も 被災地の診療崩壊の危機 岩手、宮城、福島3県

2011年4月25日 提供:共同通信社

津波に襲われた岩手、宮城、福島3県で、沿岸部を中心に少なくとも118の医療施設が壊滅的な被害を受け、診察や治療に使えず病院機能をほとんど失っていたことが24日、各地の医師会への取材で分かった。

岩手、宮城両県では医師11人が死亡したことも判明。被害の多くは、地域に密着した医療を担う小規模な診療所で、ただでさえ危機的な状況が続いていた東北の地域医療が、震災で崩壊しかねない事態に陥っている。

医師会の調査に、施設が全壊したと回答したのは、宮城で77施設、福島で25施設、岩手で16施設。うち宮城の68施設、福島の8施設の計76施設は、ベッド数が19以下の診療所だった。岩手は規模別の集計をしていない。

仮設の診療所で診療を継続する医師がいる一方で、建物や機材が津波に流されたり、地震で損壊したりして再開のめどが立たない例も多い。

福島県では、福島第1原発の20キロ圏内にあり、再開できない施設も含まれている。

宮城県医師会の関係者は「医師の年齢や、今後の金銭的負担などから廃業を決めるケースも出ている」と指摘する。

診療所は身近な医療機関として、主に症状の軽い患者などを診察。重症患者を、より高度な医療を施す中核病院につなぐ役割も担っている。

診療所がなくなった被災地では、中核病院に患者が殺到。多くの中核病院は県内外からの応援医師でしのいでいるのが現状だ。津波にのまれた公立志津川病院(宮城県南三陸町)も応援を仰ぎ、仮設プレハブで診療を再開している。

石巻市立病院(宮城県)の医師は「1次医療を担うべき医院や医師が、ある日突然なくなってしまった。応援の医師が引き揚げれば、医療が崩壊してしまう」と危機感を募らせる。

管内で12の医療施設が全壊した宮城県塩釜医師会の横山義正(よこやま・よしまさ)会長は「住民の7割は診療所が診ており、地域医療に不可欠。建物や医療機器の再建には数千万円はかかる。国の責任で再建に取り組んでほしい」と話している。
 

【避難3原則] 守り抜いた釜石の奇跡 防災教育で児童生徒無事

避難3原則」守り抜いた釜石の奇跡 防災教育で児童生徒無事
2011.4.13 14:03 ライフ

背後を気にしながら高台を目指す子供たち。小学生は、中学生に手をひかれている。これは東日本大震災の大津波から避難する岩手県釜石市の鵜住居小学校(361人)、釜石東中学校(222人)の避難の様子を、住民が撮影した貴重な写真だ。

釜石市内の児童・生徒はほぼ全員が無事に逃げ延びた。「釜石の奇跡」といわれる避難はどのように行われたのか。南海地震の大津波に備える西日本にとって学ぶべきことは多い。(北村理)

原則1「想定、とらわれるな」

海岸からわずか約1キロの鵜住居小では地震直後、校舎3階に児童が集まった。地震では建物自体は被害がなかったことや浸水想定区域外だったのが理由だった。海岸から近いにもかかわらず浸水想定区域外だったのは、明治、昭和の津波で被害がなかったからだ。

しかし、児童が3階に集まり始めたころ、隣接する釜石東中では生徒は校庭に駆け出していた。校内放送は停電のため使えなかったが、これを見た児童たちは日頃の同中との合同訓練を思い出して自らの判断で校庭に駆け出した。

児童・生徒ら約600人は、500メートル後方にある高台のグループホームまで避難。ここも指定避難場所だったが一息つく間もなく、裏側の崖が崩れるのを目撃する。危険を感じて児童生徒はさらに約500メートル先の高台にある介護福祉施設を目指した。その約30秒後、グループホームは津波にのまれた。

原則2「最善を尽くせ」

背後から聞こえる轟音と防潮堤にぶつかる白い波しぶきを見た児童・生徒はたどり着いた介護福祉施設からさらに高台へ駆けた。写真はまさにこの時の様子だ。津波は介護福祉施設の約100メートル手前で止まった。すべてが避難開始から10分足らずの出来事だった。

「間一髪で小学生全員が津波に巻き込まれるところだった」と、釜石市の小中学生の避難行動を調査した群馬大学大学院災害社会工学研究室の片田敏孝教授と金井昌信助教。もちろん津波は小中学校をのみ込み、鵜住居小では3階まで流されてきた自動車が突き刺さっていた。

原則3「率先し避難せよ」

釜石市教委は平成17年から片田教授らとともに防災教育に取り組んでいたが、翌年の千島列島沖地震の際には避難率は10%未満だった。このため、片田教授は子供たちにも登下校時の避難計画も立てさせた。

津波の脅威を学ぶための授業も増やし、年間5〜10数時間をあてた。そして、「避難3原則」を徹底してたたき込んだ。(1)想定にとらわれない(2)状況下において最善をつくす(3)率先避難者になる。

今回の大津波で児童が校舎3階から校庭に駆け出して高台に向かったこと、中学生が率先避難者となって小学生を導いたことなどすべてが「避難3原則」にあてはまる。

市内では、すでに7割の児童が下校していた釜石小学校(児童184人)もあったが、全員が無事だった。祖母と自宅にいた児童は、祖母を介助しながら避難▽指定避難所の公園にいた児童は津波の勢いの強さをみてさらに高台に避難するなど、ここでも「避難3原則」が生かされていた。

災害72時間キットの活用のススメ

災害72時間キットの活用のススメ

災害対策として、私の家では災害72時間キットをいつも準備しています。
詳細は下記をごらんください。

http://penssoap.blog89.fc2.com/blog-entry-47.html

72時間キットというのは、一人が3日間生き延びれるための最低限必要なものをリュックなどにつめておくのです。救助がくるのに72時間かかるから。という意味もあるそうです。72時間キットを一生懸命作っても、それをいつでも持ち出せる場所において置かなければ無駄になってしまいます。我が家では玄関の横においてあります(上のHPより抜粋)。


3日間用の食料、水、そのほか下着などをいつでも持ち出せるように、
リュックサックにいれて、家に保管しています。

今回の地震でも、被災者は逃げるだけで精一杯で、着の身着のまま財布などを持ち出せればいいほうであったようです。この72時間キットを準備していれば
もしものときも慌てないでリュックサックだけを持ち出すようにします。


今回の震災でも、これが活躍しました。

まず、3/11の地震当日に停電があったので、キットの中から、非常用のろうそくと懐中電灯、乾電池を取り出し、準備しました。

とくに明かりがないと、心細くなり、子供達も余計に怖がるので、大切です。
今回、非常用のろうそくは使えると思いました。

懐中電灯は乾電池が切れる恐れがありますが、この非常用は12時間連続して
使用できるので、安心です。

また断水が予想されるので、水は大切です。コンビニでも水はすぐに売り切れますので、かならず用意します。今回の地震では東金は断水はしなかったので
非常用の水は使用しませんでした。

子供がいる家庭では、飴、乾パンなどもいれておくと良いかもしれません。

今回の件を教訓に、家族でまた72時間キットの内容を見直し、かつ食料品・水などは賞味期限が切れないように、準備したいと思います。
 


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